雰囲気を伝えるということ

文化や言葉の異なる相手とのコミュニケーションはなかなか難しい。だが、慣れ親しんだ日本語でやりとりする際にも、コミュニケーションの難しさを感じることは多々ある。自分がそれを強く感じたのは友達とメールをしている時だった。
 「ふざけるなよ」自分が送った、句読点や絵文字、顔文字もないシンプルな文面。くだらない冗談に苦笑しながらも、親しみを込めた憎まれ口を叩いたつもりだった。しかし、返ってきたのは「怒らせてごめん……」という予想もしなかった謝罪。ショックだった。
 自分は友達とのメールのやりとりでも絵文字や顔文字は一切使わない。たまに文末に笑の一文字を添えるくらい。これは誰に対しても同じだ。もちろん彼女にも。絵文字を使わない理由はいくつかある。『簡潔な文章が好きだから』、『余計な手間がかからないから』、しかし一番の理由は『自分のキャラクターに合わないから』というところか。賑やかな絵文字を見るとどうも気恥ずかしくなってしまい使えない。普段の自分とメールの自分とで人が変わるのが嫌なのだ。常に同じ自分でありたいと思い、普段の会話に近づくようにミニマムなメールを心掛けていたのだが、これがよくなかった。
 私たちは普段、言葉の意味に加えて相手の表情や身振りなどから多くの情報を補完して会話を理解している。相手の顔が見えないメールでは、この点を意識しなければならない。


例えばA.「ふざけるなよ」とB.「ふざけるなよ(笑)」。文末に(笑)の一文字があるだけで、与える印象は大きく違ってくる。B.は気の知れた友達との憎まれ口、といった印象を与える一方で、B.と比較するとA.の文章は人間味の無い、かなり冷たい印象を与えてしまう。
コミュニケーションの基本は一対一の会話であり、そこでは言葉だけではなく、声の感じや身ぶり手ぶり、そして表情が大きな意味を持つ。同じ言葉でも言い方や表情一つで伝えたい内容や意味は大きく異なってくる。私たちは会話をする際、自覚している以上に多くの情報を言葉以外のもので補完している。それが所謂『雰囲気』というものだと思っている。
けれどもメールで伝えられるのは言葉だけであり、この『雰囲気』は伝わらない。ディスプレイ越しでは声の感じも言い方も表情も何も見えてこない。
そこで私たちはメールをする際に絵文字や顔文字、そして(笑)などで言葉以外の情報を補完し『雰囲気』を伝えようとする。